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玉緑茶と煎茶、隠元と売茶翁

「お茶ください。」
もし日本でそう尋ねたら、たぶん緑茶が出てくるでしょう。

西洋では、お茶といえば「紅茶」を想像する人が多いですが、日本でお茶といったらまず「緑茶」を想像します。

いつ頃から日本では緑茶が飲まれるようになったのでしょうか?
だいたい緑茶とはどんなお茶を指すのでしょうか?

緑茶とは、製茶の工程で発酵させない不発酵茶のことです。
緑茶(不発酵茶)には、煎茶、玉緑茶、抹茶、ほうじ茶などが、分類されます。
煎茶、玉緑茶、抹茶、玉露は、お茶の水色(すいしょく:液体のお茶の色)が緑色なので、わかりやすいですが、水色が茶色のほうじ茶も製茶工程では不発酵であるため、緑茶に分類されます。

抹茶が日本に伝わったのは12世紀。
1191年に禅僧栄西が中国から持ち帰ったのが抹茶の始まりと言われています。

そして現在、抹茶より日本で一般的なのは、煎茶です。現在、日本で生産されているお茶の半分以上は煎茶です。

煎茶も抹茶と同様、中国から伝わったのは間違いないようです。
しかしいつ頃、どのように伝わったのかについては諸説あります。

また1504年に紅令民(こうれいみん)が佐賀県嬉野市不動山に伝えたという説もあります。こちらの説では、こうれいとは、高麗(朝鮮半島の国)を意味し、特定の人物というより、高麗人(高麗からきた人)のことを意味しているのではないかとも言われています。

1654年、中国から渡来した僧・隠元が伝えたという説もあります。
隠元は、黄檗山萬福寺の開祖となる僧で、いんげん豆、スイカ、レンコン、明朝体などを伝えたとされ、煎茶も隠元が伝えたものの一つと言われています。

隠元は、1654年7月、長崎に上陸し、その後、東京で将軍に会い、その後、京都宇治にある萬福寺を建立することになります。萬福寺は現在、様々な流派の煎茶道(煎茶を用いた茶道)の総本山です。

そして煎茶を広めた人として、売茶翁も有名です。
売茶翁は1675年、現在の佐賀県佐賀市蓮池町の医者の子供として生まれます。11歳で出家し、萬福寺などで修行しました。

その後、長崎でお茶を学び、61歳の時に日本茶喫茶「通仙亭」を開き、煎茶を広めたとされています。1736年のことです。

その後、1738年に京都宇治田原で永谷宗円が、青製煎茶製法を15年の歳月をかけて編み出します。永谷宗円の開発した煎茶は、「伸び煎茶」とも呼ばれており、蒸して殺青し、焙炉の上で揉んで製茶する針状のお茶でした。

そして現在、煎茶と呼ばれているのは、この針状のお茶のことを意味します。

日本に煎茶が伝わって100年以上、煎茶といえば、釜炒り茶を意味したのですが、その後、蒸して針状にした茶葉が煎茶を意味するようになり、今に至っています。

ちなみに玉緑茶という名称は、1932年に茶業組合中央会議所(日本茶業中央会の前身)が茶名を広く懸賞募集して選定された名称です。それ以前は(今も使われていますが)、ぐり茶と呼ばれていました。ぐり茶の由来は、倶利

最近の玉緑茶は、釜煎り製法だけでなく、蒸し製法の玉緑茶もあります。そして現在では、蒸し製法の玉緑茶が主流で、流通する9割以上の玉緑茶が蒸し製法で製造されています。

歴史って、掘り下げてゆくとどんどん知らないことがでてくるのが面白いですよね。

参考文献
茶をめぐる情勢(農水省)

傾斜釜で作られる釜炒り茶(坂本孝義)