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玉緑茶について

玉緑茶とは、まが玉のように曲がった(カールした)形状をしている緑茶です。
玉緑茶の種類 現在、玉緑茶には、製法に違いにより2種類の玉緑茶があります。

ひとつめが釜炒り製法で作られる「釜炒り玉緑茶」。
ふたつめが蒸し製法で作られる「蒸し製玉緑茶」です。

この2つの玉緑茶は似ていますが、その歴史は、少し複雑(面白い)です。

玉緑茶という名称 「玉緑茶」という名称は、1932年(昭和7年)に茶業組合中央会議所(日本茶業中央会の前身)が茶名を広く懸賞募集して選定されました。ちなみに佳作には勾玉茶、丸茶、日之丸茶、富士茶などがあったそうです。

釜炒り玉緑茶 釜炒り玉緑茶は、もともと(今でも)釜炒り茶と呼ばれているお茶でもあります。
それは前述のとおり、玉緑茶は、1932年に登場した名称だからです。

釜炒り茶(釜炒り玉緑茶)の歴史は古く、その起源も諸説あります。

一つ目は、1504年、佐賀県嬉野に紅令民(特定の人物ではなく、高麗の人(高麗民)との説もある。)が南京釜を用いて釜炒り茶を作ったのが始まりと言われる説です。現在では嬉野製釜炒り茶と呼ばれ、45度に傾斜した傾斜釜を用いるのが特徴です。

二つ目が、加藤清正(1562~1611)に朝鮮半島から連れてこられた大工、石工、左官などの技術者が、熊本城の築城後、熊本県山都町に定住し、ヤマチャで茶をつくり、その技術が後世に伝わったという説もあります。こちらは、現在では青柳製釜炒り茶と呼ばれており、釜は水平に設置する点が特徴です。

その他にも釜炒り茶の文化は、九州以外にも三重、高知、兵庫などにもありますが、現在では、生産量はどこもかなり少量となっています。

1960年代(昭和40年代)には、九州だけでも釜炒り茶の製茶工場が900以上ありました。しかし現在では日本の茶生産量の0.5%以下と推測されています。

蒸し製玉緑茶

蒸し製玉緑茶は、「蒸しぐり」または単に「ぐり茶」とも呼ばれています。

ぐり茶の由来は諸説ありますが、ぐり(倶利、屈輪)とは、寺院建築などに用いられる蕨(わらび)形の曲線の連続文様を指す言葉で、「ぐりぐり」という言葉の由来とも言われています。

蒸し製玉緑茶(ぐり茶)は1925年、ロシアへ輸出するために発明されたお茶でした。
その背景には1893年以降、釜炒り茶の製造が全国的に取締の対象となっていたからでした。

しかしロシアでは中国製釜炒り茶が需要の中心であったため、その嗜好に合わせた釜炒り風の蒸し製緑茶「ぐり茶」が開発されたのでした。 玉緑茶の生産は、その後急増し、1930年代後半には1万トンを超えるほどでした。

生産地域としては、静岡県がダントツに多く、1930年代の蒸し製玉緑茶の80%が静岡で生産されていました。

その後、第2次世界大戦で蒸し製玉緑茶の生産量は激減しますが、戦後復活し、1954年には再び1万トンを超える生産量となります。そのほとんどが輸出されていましたが、1960年代に入り、日本の高度経済成長により、お茶の輸出は激減し、静岡での蒸し製玉緑茶(ぐり茶)の生産は激減し、静岡ではほとんど生産されなくなりました。

しかし九州での蒸し製玉緑茶の生産はその後も成長し、1980年代には5000トンを超え、ピークを迎えます。

そして現在では、蒸し製玉緑茶は年間1700トン程度が全国で生産されており、全国の茶生産量の2%程度を占めています。

蒸し製釜炒り茶 余談ですが、蒸し製釜炒り茶という今では存在しないお茶もかつては生産されていました。

嬉野でのお茶づくりについて、江戸末期1823年に来日したシーボルトが著した「日本」では、「摘み取ったばかりの葉を蒸篭で蒸して鉄製の平釜で乾燥する」と記述されています。この記述によると、生葉をせいろで蒸して殺青し、釜炒りで乾燥させるという、今では行われていない製茶方法です。

この製茶方法は、折衷製法と呼ばれ、できたお茶は湯蒸し釜炒り茶、折衷茶、蒸し製釜炒り茶と呼ばれていました。

玉緑茶の特徴 現在の機械製茶による蒸し製玉緑茶の製茶の特徴は、煎茶で用いられる精揉機での製茶工程がなく、その代わりに再乾と呼ばれる工程があることです。 精揉機で針状に製茶する工程がないために、茶葉が丸まった(カールした)形状になります。

また蒸し製玉緑茶の最近の傾向としては、深蒸しであるため、水色(液体のお茶の色)が濃い緑色で、精揉工程がないために香りがはっきりしていて爽やかな点が挙げられます。

 

参考文献

玉緑茶の歴史的形成過程(坂本孝義 著)
熊本県における青柳製釜炒り茶(坂本孝義 著)
日本の釜炒り茶(坂本孝義 著)