中国では三千年、日本でも千年以上昔から、お茶は飲まれてきました。
しかし数百年前までお茶はアジアで飲まれていただけで、世界にお茶が広まるのは、それからずっと後のことでした。
1519年にマゼランが世界一周を成し遂げ、多くの西洋の人々が世界中に出かけるようになりました。大航海時代の到来です。
そして大航海時代の終わりに近い1610年、オランダ商人を乗せた帆船は、長崎平戸に立ち寄り、そこでオランダ商人たちは茶葉を購入しました。
その後、マカオにも立ち寄り、再び茶葉を購入し、これらがヨーロッパで飲まれた初めてのお茶となりました。
お茶はヨーロッパ人を魅了し、人気を博するようになりました。
残念ながら、日本からのお茶の輸出は、1639年に時の政権、江戸幕府が鎖国政策を取り、日本茶の輸出は激減し、中国からの輸出が盛んになりました。
その後、西洋世界はお茶に夢中になります。
お茶に関する有名な事件としては、1773年12月16日のボストン茶会事件が挙げられます。
これは当時、お茶の販売権を独占していたイギリス東インド会社のお茶の値段が、密輸品のお茶の価格に比べてあまりにも高かったためでした。それに憤慨した植民地人(アメリカ人)は、ボストン港に停泊していた東インド会社の船を襲撃。「ボストン港をティー・ポットにする」と叫びながら、342箱(約40トン)の茶箱を海に投げ捨てました。この時投棄された茶の損害額は百万ドル以上といわれ、この事件には植民地人(アメリカ人)の間においても賛否がわかれたそうです。東インド会社への賠償請求に対して、アメリカ建国の父としても有名なベンジャミン・フランクリンは私財をもって「茶の代金(茶税分を除く)」の賠償を試みようとしたそうです(結局賠償はされなかった)。余談ですが、その後ボストンはイギリスの軍政下に置かれ、最終的にはアメリカ独立戦争へとつながってゆきます。
またもう一つ、有名なものとしては、ティーレースがあります。
ティーレースは、1834年にそれまでイギリス東インド会社が独占していた中国からのお茶の輸入が自由化され、その年の一番茶をいかに早く、いかに新鮮なままヨーロッパに持ち帰るかに高い関心が寄せられていました。その年の一番茶は高値で取引され、船主や船長は莫大な利益と名誉を得ることができたので、それはティーレースと呼ばれていました。
当時、中国から輸入されるお茶は、1年半から2年かけて持ち帰られていました。しかし1850年、ついに年内に新茶が届けられたのです。アメリカの新鋭帆船オリエンタル号が、1850年12月3日、1500トンの新茶を積み込んでロンドンに入港し、莫大な利益を得ました。このニュースはイギリスにとって大きな衝撃となり、ティーレースに勝利すべく、紅茶輸送のためのカティサークなどの快速船ティークリッパーが多数建造されました。その後、スエズ運河の開通(スエズ運河は無風であるため、帆船が航行できない)や蒸気船の改良により、帆船の時代は終わり、ティーレースも終演を迎えました。
また1823年、当時イギリスの植民地であったインドのアッサム地方の奥地で茶樹(アッサム種)が、イギリス人冒険家ロバートブルース、チャールズブルース兄弟によって発見されました。そして1839年、チャールズブルースの監督のもと、インドで作られた初めての紅茶が、ロンドンでオークションにかけられました。インドでのお茶の生産がついに始まったのです。
またスリランカ(1868年)やケニア(1903年)でも茶生産が始まり、世界中でお茶が栽培されるようになります。
18〜19世紀は西洋世界がお茶に夢中になり、お茶をめぐり世界が大きく変化してゆく時代でした。
そしてその大きな時代の潮流の原点は、1610年、長崎からヨーロッパに持ち帰られたお茶だったのです。
その後300年以上、ヨーロッパ人を魅了し、世界を変えていったお茶。
その原点にあったお茶はどんなお茶だったのでしょうね。
とても興味がそそられます。