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嬉野茶(うれしの茶)について

このトピックは、歴史的、地理的な理解が必要なので、少しトリッキーなトピックです。(分かりにくかったら、ごめんなさい。)

うれしの茶の名称の由来は、嬉野温泉でも有名な佐賀県嬉野市です。

うれしの茶
嬉野でのお茶づくりは、1440年に中国から渡来した陶工が茶の栽培を始め、1504年に紅令民(特定の人物ではなく、高麗民=朝鮮の人という説もある)が南京釜を用いて、釜炒り茶を作ったのが始まりとされています。

大浦慶が日本で初めてお茶の輸出に先駆けてサンプルとして海外に出荷された茶葉は、嬉野茶でした。江戸時代には、すでに嬉野茶はブランドとして確立していたと思われます。

長崎県と佐賀県

そして現在の行政区分である都道府県は、1871年(明治4年)の廃藩置県以降に成立します。廃藩置県直後には、3府302県が存在していました。(現在は47都道府県)

長崎県はおおむね5県に分かれ、佐賀県は6県に分かれていました。
その後、1875年(明治9年)に佐賀県は長崎県に統合され、そして1883年に現在の佐賀県と長崎県となりました。

東彼杵町と嬉野市の茶畑
長崎県で生産される茶の60%が東彼杵町で生産されています。
そして東彼杵町と嬉野市は隣接しており、このふたつの町ににまたがる虚空蔵山などの山々に茶畑の大半が広がっています。つまり東彼杵町と嬉野市の境目になっている山の丘陵地帯の両側に2つの町の茶畑が広がっているのです。

嬉野にある茶市場
現在、佐賀県と長崎県で生産される茶葉の大半は、嬉野市にある西九州茶流通センター(西九州茶農業協同組合連合会)を通じて市場に流通しています。この西九州茶流通センターは、1974年に長崎県と佐賀県合同で設立されました。

うれしの茶の定義
うれしの茶の定義は、2002年に「佐賀県または長崎県において生産された原料茶を100%使用し仕上げ加工した茶」と定義されました。
また2008年、「うれしの茶」は西九州茶農業協同組合連合会の尽力により、地域団体商標として登録されています。

上記のような歴史的な経緯により、現在、長崎産のお茶は、その大半がうれしの茶として流通しています。

もちろん長崎産のお茶を「うれしの茶」の名称を使わずに販売することも可能ですが、全国的に「うれしの茶」は有名であるため、「うれしの茶」で流通することが今でも一般的です。

初めての方は、なんで長崎産のお茶が「うれしの茶」なの?と不思議に感じるでしょう。しかしその背景には、長い歴史の中で培われてきた事情があるのです。

参考文献
地域登録商標「うれしの茶」特許庁

長崎県のすがた(長崎県庁)

西九州茶農業協同組合連合会